性別
僕、LGBTQなんですよ。唐突ですけど。
僕は「バイ」、そして「中性」です。
5つの中でどれかと聞かれたらBとQに当たるのかな?
普段から一人称は「僕」な僕ですが、実は生物学的には女性なんですね。びっくり。
僕は自分のこと1ミリも「女性」だとは思ってないんですけど。
2つ目のブログで自己紹介をしたんですけど、その時は敢えて性別のことは書きませんでした。
正直、僕は自分の性別が自分でもよくわかりません。
「女性」でないことは確かです。
では「男性」かと聞かれたらそれも違います。
どちらにも当てはまらないんですよね。
でも、どちらでもないのかと聞かれればそうでもない。当てはまる部分はある。
だから僕は「中性」と名乗ってます。
世の中では僕たちみたいな人たちのことを「Xジェンダー」と呼んでいます。
Xジェンダーの中でも、「中性」「無性」「両性」の3種類に分けられます。(これは同じくXジェンダーの知り合いの方から聞いた話なのでどこかに出典があるのか、その人の意見なのかは定かじゃないですが…)
その中で、僕は「中性」が自分を表すのにしっくりきたのでそう名乗ってるだけの話です。
僕が自分の性別に疑問を持ち始めたのは小学校4年生の時。
それまでは普通に髪の毛を伸ばして、ワンピースやスカートを着るような普通の女の子でした。
まぁ、今思えば、女の子と遊ぶより男の子と遊ぶ方が好きだったなという感じはあります。
4年生のとき、腕の骨にひびが入ったんですよ。
ギプスをすることになって、着替えが上手くできないと。
そのときに母が男の子のズボンを買ってきたんです。
「男の子の服の方がゆったり作られてるからこっちの方が履きやすいと思う」と。
…いつも着ていた服より、そっちの方がしっくりきたんです。
着替えがしやすかったからじゃなくて、普通に。
そこから怪我が治っても男の子の服を選ぶようになりました。
髪の毛もショートにしました。
理由は全て「こっちの方が楽だから。」そう言ってきました。
中学生になると制服を着るわけですが、想像つきますよね。
男子と女子が分けられる世界の始まりです。
当時はまだLGBTQという存在が知られるようになる前でしたし、僕自身も知りませんでした。
幸い、僕の学校は「登下校の時だけ制服、学校についたらジャージに着替える」という学校だった上に、僕の家は中学校が目視できるくらい近かったので、学校に交渉しに行くめんどくささよりもスカートをはく窮屈さを選びました。当時は「スカートを履きたくないのは自分のわがままだ」と思っていたのもあります。大ごとにしたくなかった。
中学生あたりで「LGBTQ」や「性同一性障害」という言葉が世に出回ってきました。
でも、当時のLGBTQや性同一性障害の認識は「おかま」や「おなべ」と呼ばれていた、いわゆる「トランスジェンダー」の方々を表す意味でつかわれることが多くて、「やっぱり僕はこれじゃない、スカートを履きたくないのは僕のわがままだ」と思っていました。
そして、自分がバイだと気付いたのは中学生の時の話。
同じ吹奏楽部の同じパートの先輩が好きになったんです。女の子でした。
自分はレズビアンなのかと、疑いました。
でも、小学生のときにずっと好きだった子は男の子だった。
レズビアンという存在しか知らなかった中学生の僕はもう必死で検索かけましたよ。僕はおかしいのかもしれないって。
そこで「バイ」という存在を知って、自分もそうなのだと自覚しました。
高校もスカートでしたが、工業系の高校で週1しか制服を着なかったので仕方なくスカートの制服を。
ここでも学校に交渉しに行くめんどくささよりもスカートをはく窮屈さを選びました。
僕の性別に関する悩みは、誰にも言わないままどんどん膨らんでいきました。
YouTubeでそういう動画を検索して見漁ってみたり、図書館で本を借りてみたり。
『女性じゃない、でも体は女性。その自覚はある。』
『じゃあ男性になりたいのか。違う、そうじゃない。』
今僕は、自分の性別を隠すようなことはしていません。
自分の着たい服を着て、メンズメイクをして生きています。
自分の気持ちを押し殺して生きていた僕が、いつから自分の性別をひけらかして生きているのか、はっきりとは覚えていません。
でも、きっと「律は律で生きていけばいいんだよ」って言ってくれた人がいたから。
自分がしたいことをしているのを認めてくれる人が居るって知れたから。
最近は「ジェンダーレス○○」が流行っていますよね。
ああいう形でも、性別について枠にとらわれない考え方が広まっていることがとてもうれしいです。
だって単純に考えて、世界中に何十億人といる人間を「男性」と「女性」のたった2つに分けられるわけないじゃないですか。
今は、自分の性別をはっきりさせたいとは思ってません。
寧ろはっきりさせたくありません。
「自分は自分」で生きていきたいと思っています。
でもまだ世間的には区別が必要な世の中で。
僕も区別は必要だと思います。体の構造は明らかに違うわけですから。
でも第3者から勝手に性別を決められるのは嫌です。
僕と接するときは、「僕」と接してほしい。
なんかこう、言葉にするのは難しいんですけど…。
「僕はLGBTQだ」というと、その人が持ってるLGBTQのイメージを押し付けられることがあるんですよ。「LGBTQならこういう考えでこういう立ち振る舞いをするはずだ」みたいな。
自分が持ってる枠の中に入れてしまったほうが処理が楽だし、未知のものではなくなるのは分かるんですけど。
よく漫画とかで「貴方が貴方だから、友達になったんだよ」みたいなセリフあるじゃないですか。
感覚的にはそんな感じ。
僕を「僕」として見て欲しい。
自分の中には持ってないものを相手が持ってるっていう考えで常に生きていきたい。
未知のものに出会ったときに、それを無理やり自分の中に丸め込もうとするんじゃなくて、自分の中に元から持ってる枠を広げていきたい。
万人にこれを求めるわけでは決してありませんが、僕はこうでありたい。
なんか性別の話をしていたはずなのにいつの間にか考え方の話に変わってしまった。あれ。
何が言いたいかって結局は、理解まではしなくてもいいけど、こういう人も居るんだよってこと。知ってくれてるだけで、僕は嬉しいです。
なんだかまとまりのない文章になってしまった。
もしこの記事を読んで、LGBTQについてもっと知りたいって思ってくれた人が居たら、本望です。
今回はこの辺で。
ばいばい。