僕の弟
僕には今、兄弟が2人います。
高校生の妹と中学生の弟、そして僕の3人兄弟。
実は妹と弟の間にもう1人、弟が居ました。
「居た」んです。
彼は生まれてからわずか16日で亡くなりました。
今日は彼の話をしたいと思います。
(呼び方は全て「彼」で統一したいと思います。)
結論から先に言うと、彼は「先天性横隔膜ヘルニア」という難病でした。
どういう病気かというと、肺がある上部分と臓器がある下部分を分断している横隔膜に穴が開いて、本来体の下の方にあるはずの臓器が肺の方へ飛び出てしまう病気です。
2000~5000人に1人の割合で発症するそうです。
発症するうちの4分の3は、胎内にいる時に診断がついて、横隔膜ヘルニアで生まれてきた子のうち約85%は生存退院するそうです。
彼が生まれたのは4月19日。0時36分。
「弟が今日の夜生まれそうだよ」と聞いて僕はその日病院に泊まっていました。
が、彼が生まれた瞬間、僕は爆睡かましてました。(え)
だって年長さんだったんだもの。無理もありません。笑
次の朝起きてすぐ、お父さんから「生まれたよ」と聞いたのは覚えています。
でも、彼に会うことは出来なくて。
彼と母は、少し遠くの大きな病院に入院することになったみたいでした。
当時の僕は幼かったものですから、特に気に留めることもありませんでした。
毎日学校が終わると父と妹と病院へ通いました。
でも、僕と妹は弟には会えませんでした。
今ならわかるのですが、彼はNICUに入っていたので子供は面会不可だったんです。
「父や叔母は会いに行けるのにどうして僕はダメなんだろう」とひどく寂しかったのを覚えています。
でもその数日後、彼と普通に病室で会えるようになりました。
手動式の人工呼吸器はつけてたけど、病室に出てこれるようになったんだから、彼はもうすぐ退院できるんだと思っていました。
初めて間近で弟を見た僕たちに母はこう言いました。
「実はね、肺に、穴が開いちゃってね。おうちには、しばらく帰れないと思うんだ。だからいっぱい話しかけてあげてね。」と。
…今なら、わかります。
彼はもう長くなかったんだ。
多分、母は分かってました。彼が生きて家に帰ることは無いんだと。
だから、短い間でも、少しでも長く、一緒に居てあげてね。そういう意味だったんだと思います。
沢山写真を撮って、抱っこも沢山させてもらって。
お話も沢山しました。
「初めまして、君のお姉ちゃんだよ」
「家に帰ったらいっぱい遊ぼうね」って。
生まれてから16日目。
5月5日14時24分。
僕らの目の前で、彼は天国へ旅立ちました。
とても、短い命でした。
ここまで書いててあれなんですけど、正直、はっきりした記憶があるわけではないんです。
でもそれがすごく悔しくて。
すぐに会えなくなってしまうなら、なんでもっと、もっと鮮明に記憶に刻んでおかなかったんだろう。
彼のお葬式、僕泣いてあげられなかったんです。
今なら思い出すだけで涙が溢れてくるのに。
なんであの時泣いてあげられなかったんだろう。
妹は僕よりさらに小さかったので本当に記憶がないそうで。
ってなるとなおさら、僕が彼のお姉ちゃんなのに、兄弟の中で覚えててあげられるのは僕だけなのに、なんで。って。
彼と過ごした一瞬を僕は忘れたくない。
それにね、
彼が生まれた時間、0時36分。
彼が旅立った時間、14時24分。
3月6日が母の誕生日。
2月4日が父の誕生日。
こじつけだと言われればそれまでですが、偶然とは思えません。
僕ら家族の所に来るべくして来たんだと思います。
これが、たった16日間を必死に生きぬいた、僕の自慢の弟です。
彼が亡くなった後、母は言いました。
「忘れないであげてね。忘れないでいてあげることが、一番だから」
彼が生まれてから亡くなるまでのこの期間、母が泣いてるところを見た記憶はありません。
それどころか、今の今まで一度も、母が彼のことで泣いてるところは見たことがありません。
今思えば、きっと、僕らが見てないところで、沢山沢山泣いていたんだと思います。
僕には、子供を亡くした親の気持ちはわかりません。
母はきっと「わからないほうがいい」というでしょう。
でも、弟を亡くした姉の気持ちはわかります。
弟の人生を背負うようなつもりはないけれど、強く生きていかなきゃな。
不甲斐ない人間だけどね。
彼のことをこんなにしっかり話したのは初めてな気がします。
友達同士で兄弟の話になることがあるんですけど、やっぱり「亡くなった」って言うと聞いちゃいけない事を聞いたような顔でみんな話を逸らすんですよ。
気持ちはわかりますけどね。
人によると思うけど、僕は触れて欲しくないとは思ってないし、寧ろ知って欲しかったんです。
長々とお付き合いありがとうございました。
今回はこの辺で。
ばいばい。