久しぶりすぎん?

前記事を更新したのが100日以上前だそうです。

お久しぶりです。律です。

 

学校やらバイトやら稽古やらバッタバタな生活を送っていたらいつの間にか時間が過ぎ去っていました。

 

前お話してた舞台も無事本番が終わって2週間以上経とうとしています。

本当は公演終わってすぐ冷めやらぬ気持ちを残しておくつもりだったのですが…テストとか色々忙しくて…

 

とりあえず生きてるよーって報告だけ。

このくらいの秒で書けるくらいのをちゃんと定期的に投稿していきたいですよね。

継続は力なり、なので。

 

今回は短いですがこのへんで。

生存報告でした。

 

ばいばい。

久しぶりすぎるブログと演劇ワークショップ

大変お久しぶりです。律です。

前回いつ更新したか忘れました。

 

ブログを書いていない間に、国家試験を受けたり、夏休みに入ったり、資格取得のために車校に通ったりしてました。

今は一旦落ち着いてバイトと舞台の稽古漬けの日々を送っております。

 

今日は演劇についてお話したいなと。

僕は今、11月にある本番に向けて稽古しています。

それに伴って先日、初めて演劇のワークショップに行ってきました。

それがもう楽しくて楽しくて。

今まで、お芝居は好きだったけど公の場でやったことが無くて、本格的に基礎から教えてもらうのは初めてで何もかもが新鮮でした。

 

一通り舞台上で必要な体の動きを学んで基礎の発声練習をこなしたらオーディション用の独白セリフをひとりずつ。その後ペアを組んでエチュードを。

 

独白は一人でする朗読みたいなものなんですけど、みんな同じ文章を読んでいるのに表現の仕方が全然違って。でもその中でも自分が聞いてすごい、上手だって思う人と自分だったらもっとこう言うのにって思う人と居て、「芝居が上手、とは何か」を考えるいい時間になりました。

 

エチュードは簡単な2人用の台本を貰って、ペアで「この台詞に辿り着くまでに何があたのか」を2人で考え、みんなの前で演じてみる、というものでした。

僕は今度の舞台で主役をやる方と組みました(主役の相手役となるメインキャストのアンダー(代役)を僕がやっているため向こうが声をかけてくれた)。

流石主役、と言ったらなんだか言い方が違う気がしますが、向こうは魅せ方を分かってるんです。自分がこう動いたらお客さんにはどう見えてどんな反応が返ってくるか。

終わってから色々考えたら「あそこでああすればよかった」「もっとこう動けばよかった」と思うことばかりで。悔しい結果にはなりましたが、とても楽しかった。

他のペアも同じ台本を読んでるはずなのに、そこに辿り着くまでの考えた過程とかセリフのテンポ感とか全然違って、セリフひとつとってもここまで違って、面白く聞こえるんだ、というのを学びました。

 

自分のことを「役者」というにはまだまだほど遠いということを痛感したけれど、お芝居の楽しさを実感するにはとても良い時間でした。

 

今回、セリフの緩急のつけ方や、舞台上でどう動いたらどう見えるのか、学んだことはたくさんあります。

今回学んだことを本番に生かしていけるように頑張ります。

 

 

今回はここまで。

ばいばい。

僕の弟

僕には今、兄弟が2人います。

高校生の妹と中学生の弟、そして僕の3人兄弟。

 

実は妹と弟の間にもう1人、弟が居ました。

 

「居た」んです。

 

彼は生まれてからわずか16日で亡くなりました。

今日は彼の話をしたいと思います。

(呼び方は全て「彼」で統一したいと思います。)

 

結論から先に言うと、彼は「先天性横隔膜ヘルニア」という難病でした。

どういう病気かというと、肺がある上部分と臓器がある下部分を分断している横隔膜に穴が開いて、本来体の下の方にあるはずの臓器が肺の方へ飛び出てしまう病気です。

2000~5000人に1人の割合で発症するそうです。

 

発症するうちの4分の3は、胎内にいる時に診断がついて、横隔膜ヘルニアで生まれてきた子のうち約85%は生存退院するそうです。

 

彼が生まれたのは4月19日。0時36分。

「弟が今日の夜生まれそうだよ」と聞いて僕はその日病院に泊まっていました。

が、彼が生まれた瞬間、僕は爆睡かましてました。(え)

だって年長さんだったんだもの。無理もありません。笑

次の朝起きてすぐ、お父さんから「生まれたよ」と聞いたのは覚えています。

でも、彼に会うことは出来なくて。

彼と母は、少し遠くの大きな病院に入院することになったみたいでした。

当時の僕は幼かったものですから、特に気に留めることもありませんでした。

毎日学校が終わると父と妹と病院へ通いました。

でも、僕と妹は弟には会えませんでした。

今ならわかるのですが、彼はNICUに入っていたので子供は面会不可だったんです。

「父や叔母は会いに行けるのにどうして僕はダメなんだろう」とひどく寂しかったのを覚えています。

 

でもその数日後、彼と普通に病室で会えるようになりました。

手動式の人工呼吸器はつけてたけど、病室に出てこれるようになったんだから、彼はもうすぐ退院できるんだと思っていました。

初めて間近で弟を見た僕たちに母はこう言いました。

「実はね、肺に、穴が開いちゃってね。おうちには、しばらく帰れないと思うんだ。だからいっぱい話しかけてあげてね。」と。

…今なら、わかります。

彼はもう長くなかったんだ。

多分、母は分かってました。彼が生きて家に帰ることは無いんだと。

だから、短い間でも、少しでも長く、一緒に居てあげてね。そういう意味だったんだと思います。

 

沢山写真を撮って、抱っこも沢山させてもらって。

お話も沢山しました。

「初めまして、君のお姉ちゃんだよ」

「家に帰ったらいっぱい遊ぼうね」って。

 

生まれてから16日目。

5月5日14時24分。

僕らの目の前で、彼は天国へ旅立ちました。

とても、短い命でした。

 

ここまで書いててあれなんですけど、正直、はっきりした記憶があるわけではないんです。

でもそれがすごく悔しくて。

すぐに会えなくなってしまうなら、なんでもっと、もっと鮮明に記憶に刻んでおかなかったんだろう。

彼のお葬式、僕泣いてあげられなかったんです。

今なら思い出すだけで涙が溢れてくるのに。

なんであの時泣いてあげられなかったんだろう。

妹は僕よりさらに小さかったので本当に記憶がないそうで。

ってなるとなおさら、僕が彼のお姉ちゃんなのに、兄弟の中で覚えててあげられるのは僕だけなのに、なんで。って。

彼と過ごした一瞬を僕は忘れたくない。

 

それにね、

彼が生まれた時間、0時36分。

彼が旅立った時間、14時24分。

3月6日が母の誕生日。

2月4日が父の誕生日。

こじつけだと言われればそれまでですが、偶然とは思えません。

僕ら家族の所に来るべくして来たんだと思います。

 

これが、たった16日間を必死に生きぬいた、僕の自慢の弟です。

 

彼が亡くなった後、母は言いました。

「忘れないであげてね。忘れないでいてあげることが、一番だから」

 

彼が生まれてから亡くなるまでのこの期間、母が泣いてるところを見た記憶はありません。

それどころか、今の今まで一度も、母が彼のことで泣いてるところは見たことがありません。

今思えば、きっと、僕らが見てないところで、沢山沢山泣いていたんだと思います。

 

僕には、子供を亡くした親の気持ちはわかりません。

母はきっと「わからないほうがいい」というでしょう。

でも、弟を亡くした姉の気持ちはわかります。

弟の人生を背負うようなつもりはないけれど、強く生きていかなきゃな。

不甲斐ない人間だけどね。

 

彼のことをこんなにしっかり話したのは初めてな気がします。

友達同士で兄弟の話になることがあるんですけど、やっぱり「亡くなった」って言うと聞いちゃいけない事を聞いたような顔でみんな話を逸らすんですよ。

気持ちはわかりますけどね。

人によると思うけど、僕は触れて欲しくないとは思ってないし、寧ろ知って欲しかったんです。

長々とお付き合いありがとうございました。

 

今回はこの辺で。

ばいばい。

舞台と役者

自己紹介のときに「役者のたまごでもあります」と書いたと思うのですが今日はその話をしたいと思います。

 

「役者のたまご」といっても、何処かの事務所に所属していたりするわけではなくて、どちらかといえばアマチュアの団体です。

今は11月の公演に向けて稽古してます。

 

僕は小学生の頃からお芝居とか、そういう「表現すること」に興味がありました。

当時、Eテレでやっていた天才てれびくんを観ていて、同じくらいの子たちが活躍してるのを見てあこがれを持ったっていうのもあります。

律少年は母に「こういうのやってみたい!!」と言ってみましたが、母は本気にしませんでした。

数年後、特撮オタクの世界に身を投じ、俳優さんという存在をより深く知ったことで、その想いは最熱します。

でも、「やりたい!」って言っても聞き入れてもらえないのは分かっていたし、自分は人前に立てるような器じゃないってわきまえていたので考えないようにしていました。

 

月日は流れ、高校2年生のとき。バイト先である人に出会いました。

今いる団体の代表のYさんです。

Yさんは当時同じバイト先で働いていて、親睦会で仲良くなりました。

歳は10個上ですが、とても仲良くしてくれます。

ある日、一緒にごはんに行って、その後カラオケに行きました。

すると、「ミュージカルとか、舞台とか興味ない?私そういうのの企画やってるんだけど、もしよければ一緒にやらない?」と声をかけてくれました。

後で聞いたのですが、僕の歌をすごく好いてくれたみたいで…

正直すごくうれしかったです。まさかこんなに近くにそういうことをやってる人が居るとは思わなかったし、その上声をかけてもらえるなんて。

家に帰って母に「実は誘われて…昔から興味あったしやりたいんだけど…」と恐る恐る聞いてみたところ、「もうあれこれ言って制限かけるような年齢じゃないでしょ、やってみれば」と。

正直びっくりしました。あっけらかんとしすぎて。笑

こうして僕は舞台の世界へ足を踏み入れることになったのです。

 

今いる団体は、小学生の子から50代の大人の方まで幅広い人が居ます。

歴も様々で、何年もミュージカルをやっている子も居れば、僕みたいに歳いって始めた人も少なからずいます。

歳や経歴が違えど、みんなで一つの目標に向かって、意見を出し合って、一つのものを作り上げていくあの空間が、僕は大好きです。

 

 

僕は今まで歌もダンスもお芝居もちゃんとやったことはありません。

ただ好きで、憧れの人を真似して、独学でやってきました。

褒めて頂けることも多いですが、やっぱり自分で見返すと足りない部分ばかりで落ち込みます。

体力はない、声も安定しない、動きは固い、セリフの間がなんか変……

自分自身が舞台の世界にはいってから、本当にプロの方たちはすごいのだと改めて実感しました。

僕が推してる俳優さんたちは本当にすごいのだなと。

舞台メインの推しも沢山居るのですが、ファンではなく、同じ役者としての観点から見ると自分の未熟さが身に染みてわかります。

だって、それを生業にしているとはいえ、2時間~3時間ある公演をマチソワでやったりするんですよ。信じられない。

体力的だけじゃなくて、毎回毎回気持ちが動くわけですから気疲れだってしますよ。

それを2週間とか、ロングランとかだと3か月とか毎日やってる…。

すごい。同じ人間とは思えない。

 

自分の小ささに凹む時もあるけど、もちろん最初から出来るようになるとは思ってないし、自分に足りないところを少しずつ補っていけたらいいなって思ってます。

今はストレッチと腹筋頑張ってます。

僕身体がめちゃくちゃ固いんですよ。びっくりするくらい固い。

高校生の頃のスポーツテストの超座体前屈の記録18cmです。めっちゃ固い。

ストレッチ続けてたら今はつま先に手が届くようになりました。

努力って大事。

腹筋は、声出すにもあったほうがいいし、僕めちゃくちゃひょろいので筋肉つけようと思って…笑

 

自分がやりたいこと、楽しいことってどこまでも突き詰められるから不思議。

この前の稽古なんて本気でやりすぎて膝に痣出来ましたからね。

舞台上に居るときは何も感じないんですけどね。

ハケた瞬間「暑っ!?痛っ!?」みたいな。すごい楽しいです。

 

……喋りすぎました。

今回はこの辺で。

 

ばいばい。

趣味:特撮

僕が色々な趣味を持っていることは自己紹介でお話ししたと思います。

それに付随していろいろなジャンルのオタクをしています。

その中でも特に僕の大部分を構成してるのが「特撮」というコンテンツです。

 

きっかけは10年前。弟と一緒に海賊戦隊ゴーカイジャーを見たのが僕のすべてのオタクの始まりです。

  僕が幼稚園の頃に観てた、いわゆる「世代」は魔法戦隊マジレンジャーなのですが、当時も好きで毎週見てました。当時の推しは麗ちゃん。(誰も聞いてない)

 それから観てなかったのですが約7年後、弟が世代で見始めたゴーカイジャーを一緒に観るようになりました。

 

初めは弟のごっこ遊びに付き合うためにキャラクターくらい知っておこうと思って見始めたんですね。

ところがどっこい、話が面白くてな…

 

(ここから語ります)

海賊戦隊ゴーカイジャースーパー戦隊が始まって35番目の戦隊ということでアニバーサリー的なお祭り作品だったんですよ。

レンジャーキーというアイテムを使って過去の戦隊に変身できるんです。

さらにさらに、過去の戦隊に出演していた俳優さんたちがオリキャスで登場するんです。ずるいじゃんそんなの。

しかも1,2話で世界観の説明が終わった後、3話で登場した最初の過去戦隊からのゲストが私の世代の魔法戦隊マジレンジャーの赤色、小津魁役の橋本淳さん。聞いてないよそんなの。

他の回にも別の作品のキャラクターがどんどん登場するわけです。過去の戦隊も気になりだすじゃないですか。もう虜ですよね。

あと、ゴーカイジャーのエンディングが過去戦隊を順番に並べた曲なんですよ。

未だに歌えるし、この曲のおかげで過去戦隊全部言える。

お話だけじゃなく、僕はそこでジョー・ギブケンという男に落ちるわけです。

中の人も気になるじゃないですか。

僕の初めてできた俳優の推しが、今じゃ有名な山田裕貴さんです。

 

…とまぁこんな感じでゴーカイジャーに沼って且つ俳優さんを追っかけるようになりました。

 

ゴーカイジャーが終わっても当たり前のように特命戦隊ゴーバスターズを観て、獣電戦隊キョウリュウジャーを観て……

ゴーカイジャーから10年。途中、動物戦隊ジュウオウジャー宇宙戦隊キュウレンジャーを放送してた時期、僕はテレビを持っていなかったのでリアタイからは抜けた(情報はネットで追ってた)のですが、警察戦隊パトレンジャーVS快盗戦隊ルパンレンジャーから特撮クラスタ戻りして今に至ります。

 

もう一つのニチアサ、仮面ライダーはジオウから本格的に見始めました。

(ちなみにゴーカイジャーと同じ時期に放送していたフォーゼは全話見てました。)

これは全くの偶然なのですが、ジオウも過去のライダーの力を使って戦うんですね。

アニバーサリー作品から見始めるのは本当に危ないのでお勧めします()

 

過去の作品も観たい!と思い、バイトを始めたのをきっかけに東映特撮ファンクラブ(通称TTFC)に入りました。

そこでまだ見れてない作品を観たり、過去見ていた戦隊をもう一度見返したりしています。

 

自分でもまさか10年経った今も特撮が好きだとは思いませんでした。

 

あの時ゴーカイジャーを観てなかったら、今頃僕は何に夢中になってたんだろう。

もしかしたら「推し」という概念を知らずに生きていたのかもしれない。

 

あ、最近ウルトラマンも気になってるんですよね…

ウルトラマンはXだけ完走してます。そのほかは全然…。

 

今はとりあえず、平成仮面ライダーをすべて完走することと、2000年~の戦隊をすべて完走することが目標です。

 

推し戦隊、推し仮面ライダーの話も個別でしたいと思ってるので、またよろしくお願いします。

 

今回はこの辺で。

ばいばい。

性別

僕、LGBTQなんですよ。唐突ですけど。

 

僕は「バイ」、そして「中性」です。

 

5つの中でどれかと聞かれたらBとQに当たるのかな? 

 

普段から一人称は「僕」な僕ですが、実は生物学的には女性なんですね。びっくり。

僕は自分のこと1ミリも「女性」だとは思ってないんですけど。

 

2つ目のブログで自己紹介をしたんですけど、その時は敢えて性別のことは書きませんでした。

正直、僕は自分の性別が自分でもよくわかりません。

「女性」でないことは確かです。

では「男性」かと聞かれたらそれも違います。

 

どちらにも当てはまらないんですよね。

でも、どちらでもないのかと聞かれればそうでもない。当てはまる部分はある。

だから僕は「中性」と名乗ってます。

 

世の中では僕たちみたいな人たちのことを「Xジェンダー」と呼んでいます。

Xジェンダーの中でも、「中性」「無性」「両性」の3種類に分けられます。(これは同じくXジェンダーの知り合いの方から聞いた話なのでどこかに出典があるのか、その人の意見なのかは定かじゃないですが…)

その中で、僕は「中性」が自分を表すのにしっくりきたのでそう名乗ってるだけの話です。

 

僕が自分の性別に疑問を持ち始めたのは小学校4年生の時。

それまでは普通に髪の毛を伸ばして、ワンピースやスカートを着るような普通の女の子でした。

まぁ、今思えば、女の子と遊ぶより男の子と遊ぶ方が好きだったなという感じはあります。

 

4年生のとき、腕の骨にひびが入ったんですよ。

ギプスをすることになって、着替えが上手くできないと。

そのときに母が男の子のズボンを買ってきたんです。

「男の子の服の方がゆったり作られてるからこっちの方が履きやすいと思う」と。

…いつも着ていた服より、そっちの方がしっくりきたんです。

着替えがしやすかったからじゃなくて、普通に。

 

そこから怪我が治っても男の子の服を選ぶようになりました。

髪の毛もショートにしました。

理由は全て「こっちの方が楽だから。」そう言ってきました。

 

中学生になると制服を着るわけですが、想像つきますよね。

男子と女子が分けられる世界の始まりです。

当時はまだLGBTQという存在が知られるようになる前でしたし、僕自身も知りませんでした。

幸い、僕の学校は「登下校の時だけ制服、学校についたらジャージに着替える」という学校だった上に、僕の家は中学校が目視できるくらい近かったので、学校に交渉しに行くめんどくささよりもスカートをはく窮屈さを選びました。当時は「スカートを履きたくないのは自分のわがままだ」と思っていたのもあります。大ごとにしたくなかった。

 

中学生あたりで「LGBTQ」や「性同一性障害」という言葉が世に出回ってきました。

でも、当時のLGBTQや性同一性障害の認識は「おかま」や「おなべ」と呼ばれていた、いわゆる「トランスジェンダー」の方々を表す意味でつかわれることが多くて、「やっぱり僕はこれじゃない、スカートを履きたくないのは僕のわがままだ」と思っていました。

 

そして、自分がバイだと気付いたのは中学生の時の話。

同じ吹奏楽部の同じパートの先輩が好きになったんです。女の子でした。

自分はレズビアンなのかと、疑いました。

でも、小学生のときにずっと好きだった子は男の子だった。

レズビアンという存在しか知らなかった中学生の僕はもう必死で検索かけましたよ。僕はおかしいのかもしれないって。

そこで「バイ」という存在を知って、自分もそうなのだと自覚しました。

 

高校もスカートでしたが、工業系の高校で週1しか制服を着なかったので仕方なくスカートの制服を。

ここでも学校に交渉しに行くめんどくささよりもスカートをはく窮屈さを選びました。

 

僕の性別に関する悩みは、誰にも言わないままどんどん膨らんでいきました。

YouTubeでそういう動画を検索して見漁ってみたり、図書館で本を借りてみたり。

 

『女性じゃない、でも体は女性。その自覚はある。』

『じゃあ男性になりたいのか。違う、そうじゃない。』

 

今僕は、自分の性別を隠すようなことはしていません。

自分の着たい服を着て、メンズメイクをして生きています。

自分の気持ちを押し殺して生きていた僕が、いつから自分の性別をひけらかして生きているのか、はっきりとは覚えていません。

でも、きっと「律は律で生きていけばいいんだよ」って言ってくれた人がいたから。

自分がしたいことをしているのを認めてくれる人が居るって知れたから。

 

最近は「ジェンダーレス○○」が流行っていますよね。

ああいう形でも、性別について枠にとらわれない考え方が広まっていることがとてもうれしいです。

だって単純に考えて、世界中に何十億人といる人間を「男性」と「女性」のたった2つに分けられるわけないじゃないですか。

 

今は、自分の性別をはっきりさせたいとは思ってません。

寧ろはっきりさせたくありません。

「自分は自分」で生きていきたいと思っています。

でもまだ世間的には区別が必要な世の中で。

僕も区別は必要だと思います。体の構造は明らかに違うわけですから。

でも第3者から勝手に性別を決められるのは嫌です。

 

僕と接するときは、「僕」と接してほしい。

なんかこう、言葉にするのは難しいんですけど…。

 

「僕はLGBTQだ」というと、その人が持ってるLGBTQのイメージを押し付けられることがあるんですよ。「LGBTQならこういう考えでこういう立ち振る舞いをするはずだ」みたいな。

自分が持ってる枠の中に入れてしまったほうが処理が楽だし、未知のものではなくなるのは分かるんですけど。

 

よく漫画とかで「貴方が貴方だから、友達になったんだよ」みたいなセリフあるじゃないですか。

感覚的にはそんな感じ。

僕を「僕」として見て欲しい。

 

自分の中には持ってないものを相手が持ってるっていう考えで常に生きていきたい。

未知のものに出会ったときに、それを無理やり自分の中に丸め込もうとするんじゃなくて、自分の中に元から持ってる枠を広げていきたい。

 

万人にこれを求めるわけでは決してありませんが、僕はこうでありたい。

 

なんか性別の話をしていたはずなのにいつの間にか考え方の話に変わってしまった。あれ。

 

何が言いたいかって結局は、理解まではしなくてもいいけど、こういう人も居るんだよってこと。知ってくれてるだけで、僕は嬉しいです。

 

なんだかまとまりのない文章になってしまった。

 

もしこの記事を読んで、LGBTQについてもっと知りたいって思ってくれた人が居たら、本望です。 

 

今回はこの辺で。

 

ばいばい。

趣味:音楽

僕は音楽が好きです。

 

聴くのも、歌うのも、演奏するのも、作るのも。

2歳の頃からエレクトーン教室に通っていたので物心ついた時には身近に音楽がありました。

今はドラムを中心にいろいろな楽器に手を出しています。

 

僕の部屋は妹と同部屋なのですが、部屋の半分以上が楽器に占領されているという奇妙な光景が広がっています笑

エレクトーン、ピアノ、ドラム、アコースティックギターエレキギターエレキベースウクレレ、キーボード、ストリートドラム。

凄い量。もはや楽器部屋。

 

別に弾けるとは言ってないんですよ。

本当に少しずつ、何もやってない人よりは出来る程度です。

 

親が音楽家とかでもなくて、普通にピアノ習ってた人と、大学時代に少しギターを弾いたことがあるくらいの親。

なんでこんなに楽器まみれになってるんでしょう。

 

少し話が逸れました。

1つずつ行きましょう。

 

まず聴くこと。

小さなころから身近に音楽があったので「音楽を聴く」という行為を意識したことは無いのですが、日常に音楽がないと多分死にます。部屋で何か音楽が流れてないとそわそわしちゃうんですよね。それは「音楽を聴くのが好き」ということになるのかは少し疑問ですが。

 

次に歌うこと。

僕は1人カラオケによく行きます。

1人で平気で4時間とか6時間とか歌います。

多分そろそろ受付のお兄さんに顔と名前覚えられてる。

カラオケを趣味としていたら、一緒にカラオケに行った人に誘われてミュージカルの舞台に立つことになりました。人生何が起こるかわかりませんね。

舞台の話はまた今度しますね。

うちの身内はみんな歌うことが好きなので車の中は常にカラオケ大会です。

多分他の家の人が見たらびっくりすると思います笑

 

次に弾くこと。

これだけ楽器があって弾かないほうがびっくりですよね。

エレクトーン歴が10年で一番長いですが、ドラムが一番得意です。本当に上手な人から見たらまだまだですけど。

ギター、ウクレレはコード弾き、ベースは単音、鍵盤系は楽譜を読むのが遅いので時間はかかりますが、練習すればそこそこ弾けます。

あとは、ずっと吹奏楽をやっていたので打楽器系は大体いけます。

あと半年ほどホルンを担当していたのでホルンも吹けます。

勉強に飽きたら楽器弾く、みたいな生活を一生してます。廃人。

 

最後に作ること。

作曲はエレクトーン教室に通ってたときに少しやったことありますが大っ嫌いでした。

最近、やっと音楽のメカニズムを勉強して、少しずつ好きになってきました。

あまちゃんですが、YouTubeに数曲投稿したりしてます。

名義が違うので多分見つかりません。

ギターとかベースも、これに付随して「作るなら弾けなきゃ!」の精神で始めました。

我ながら頭おかしいなぁ。

 

僕を説明するうえで音楽って欠かせないものなんです。

多分人生の半分以上音楽してます。

多分早かれ遅かれ音楽は好きになっていたと思うので、小さいころから音楽に触れさせてくれた親には少し感謝してます。そのおかげで絶対音感少しあるし。

音楽は死ぬまで手放したくないな。

 

今回は趣味の話音楽編でした。

趣味はまだまだ沢山あるのでまた別の機会に。

 

ばいばい。